銀行員辞めて半年が経ちました

 元銀行員の西條です。

 久々の投稿になります。銀行員を辞めて独立し、半年が経ちました。コロナ共生時代の中、自立を目指し起業しましたが、ここまで苦戦の連続で、当初の計画が次々と崩れて行きました。そのため精神的にも随分追い込まれ、当初毎日更新すると誓ったブログの更新頻度も下がってしまいましたが、再度立て直しをすることにいたしました。

1.このブログの目的をもう一度振り返る

 このブログは、この変化の激しい時代に、銀行あるいは信用金庫などの金融期間にお勤めの優秀な方々に、今のままの人生で良いのですか?あなたの生き方は古くないですかと呼びかけるために始めたものでした。私の在籍した銀行にも今も優秀な方が数多くいらっしゃいますが、将来の不安なく、また楽しく働けている方は非常に少なかったと思います。また今後の不可避である金融再編の中で、銀行員は間違いなく絶滅危惧種でしょう。私も55歳で銀行をやめ、コロナの影響で苦戦していますが、辞めたことを後悔したことは一度もありません。むしろ遅すぎたと反省しています。もちろん銀行の中で経営層まで上り詰め、子会社に出向して70歳過ぎまで働くという選択肢もあるでしょう。しかし、そこから30年以上も生きる可能性があるのです。その間退職金と年金で生きていけるのでしょうか?

2.人生二毛作

 人生100年だとするならば、私は半分を折り返したばかりです。まだやりたいことを全てやっているわけではありません。むしろやりたいことが出来ていないと言ったほうが良いかもしれません。私は、9歳と7歳の親です。子育てという社会的に意義のある仕事をまだまだ続けなければなりません。私には、子どもたちと世界を巡るという目標があります。これは自分にとっては、夢ではなく、義務であると考えています。我が子達は、私が子供の頃と育った環境がまるで違います。彼らはインターネットを通して、日々日本以外のものを感じています。英語、日本語、韓国語、中国語、スペイン語のYoutubeを毎日見ているのです。また、インターネット英会話を週に2日も受け、ネイティブと話をしているのです。中途半端な英語教育を受けた私とは、レベルが違います。彼らを育て上げるためには、それなりのお金が必要になるでしょう。

 私は、苦労はしていても銀行を辞めたことを後悔してないと言いました。それは銀行員を続けていても良い未来が見えなかったこともありますが、独立して如何に自分が世の中を知らなかったことに気がつけたことに感謝しているという面が大きいのです。会社員というものがどれほどものを知らなくても生きていけたのかということにやっと気がつけたのです。事業を広げていく中で、様々な人にお会いし、自分の無知・無能に気がつけたことは、幸せなことだと思います。

3.今後の私の会社の存在意義

 今、私は、静岡県の東部地域を中心に、激増している空き家問題に取り組んでいます。当初は、単純に増えていく空き家を再生して、貸し出すことを事業として行うことしか考えていませんでしたが、ここには根の深い問題が潜んでいることに徐々に気が付いてきました。それは、東京一極集中のもたらした、地方の貧困問題です。十分な所得がないために、安価な戸建て住宅を求めている人々がかなりの割合で存在しているのです。そのため、私の再生した戸建て物件は、あっという間に入居がつくのです。そして、安価に戸建てを再生し、市場に提供を始めている方も数多くいることもわかりました。しかし、私の資金も限りがありますので、再生できる空き家の数にも限りがあります。是非とも私一緒に情報交換をしつつ空き家再生を行っていただける仲間を増やしていきたいと思っています。

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この記事を書いた人

代表の西條泰弘(さいじょう やすひろ)と申します。自分自身、東京の人混みを嫌い、富士山の麓で、ソーシャルディスタンスを確保しながら、のんびりと生活をしています。元は銀行のシステム部門の副部長をしていました。小学4年生と1年生の父親でもあり、キャンピングカーで日本全国を妻と子供と旅行をするのが趣味です。田舎の生活に興味をお持ちの方は、ご相談いただければいろいろお役に立てると思います。「問い合わせ」からコンタクトをお願いします。

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